長らくお待たせいたしました!
今回ご紹介するのは、ニーチェ著書の[ツァラトゥストラ]です。
タイトルだけ見ると音の響きからか、マーチ(行進)を連想してしまた私です。全く関係ないんですけどね。
本のタイトル[ツァラトゥストラ]が、何から来ているのかは、解説動画、 YouTubeアバタローチャンネの中で確認することができます。( ̄_ ̄)b
アバタローチャンネル[ツァラトゥストラ]の紹介は、ブログの後半にて行っていますので、早く見たい方は目次からすっ飛んでご覧ください。
また、聴覚障害の方も動画を楽しんでもらえるよう、アバタローチャンネルには、個人的に字幕を付けています。公開しているAmaraサイトの 字幕付き動画URLをご利用ください。
今回のブログネタは[ツァラトゥストラ]ですが、実は今までニーチェのことを異次元の存在だと思って嫌煙していた私です。
どれだけ嫌煙していたかというと
私の人生には無縁の人だ!と思っていたぐらいです。
しかし、解説動画を観て興味が沸くと、実際に本書を手に取り読んでいました。読んでみると意外にもニーチェの言葉が私の心に届いていることに気付きました。
心の準備は整ったようです。
最初は、本書の内容に興味を持って読み始めたのですが、途中からどんどんニーチェ自身への興味に変わり、全文を読む前にニーチェ自身を理解してから読んだ方がもっと面白くなりそうと、あれこれ調べていました。
ニーチェに対する理解が深まって行く都度、繰り返し前半部分を読んでいると、最初読んだ時より更に[ツァラトゥストラ]の面白みが増していることに気づきます。
そこで今回は、「ニーチェと行くツァラトゥストラの旅」をテーマにお伝えします。
ニーチェをよく知らない方も、この言葉をご存知の方は多いのではないでしょうか。神は死んだ!
私がニーチェをよく知らない代表ですが、この言葉はなぜか知っていました。

はて? 何処で知ったんだろう・・・?
この有名な言葉は、[ツァラトゥストラ]第1部の冒頭部分に出て来ます。
本書を途中までしか読んでいなくても、ニーチェの集大成が[ツァラトゥストラ]だということは、何となく感じました。
本書の中には、幾つもの重要なキーワードが含まれているからです。
これらの言葉をなぞるように、[ツァラトゥストラ]物語は展開されて行きます。
ただ、哲学に興味がない方からすると、何のコッチャ!といった感じの言葉たちではないでしょうか。 私もニーチェに触れるまで、そう思っていましたし・・・(笑)
そこで、この流れに沿って内容はお伝えして行こうと思います。
ただ、運命愛・永劫回帰は本書の後半に関係する言葉なので、現時点でサラっと触れられるかも謎です。
まず先に本の選び方のポイントをお伝えします。
これは、めっちゃめちゃ大事です!( ̄_ ̄)b
ツァラトゥストラ「読みやすさ」と「深み」
最初私は、kindle版で入手した本を読んでいたのですが、途中から解説付きの文庫本も手にして読んでいました。
なぜなら、ニーチェ初心者である私にとって、優しい文体で書かれていても、解説なしで理解するには難しかったからです。
こんな感じで・・・。

はぁ?何言ってんですか?
どちらも同じ箇所で躓いたのではないでしょうか?
なぜなら、この文章で使われている「幽霊」「植物」が何を表現しているのか分からないからです。
文章表現自体でみると、kindle版で入手した本は、現代人が読みやすいような表現で書かれています。ちょっとニーチェっぽさは消えますが・・・。
文庫本の方は、ちょっと表現がゴツゴツした感じの堅めですが、それはそれでニーチェっぽさが表れています。
どちらにもそれぞれの良さがあります。
ただ、解説付きじゃないと、どちらも理解不能の文章です。
幸いにも文庫本には、各章の初めと終わりに解説が付いていました。
終わりに書かれた解説を見ると
「植物」は、受動的な生き方をするものをさし
「幽霊」は、なまぬるい精神的活動をさす
と書かれており、言葉の意味が分かれば内容の理解がグン!と広がって行きます。
[ツァラトゥストラ]私のBESTな読み方
[ツァラトゥストラ]をただ読むだけなら、どんな本を選んでも良いのですが、理解して読みたい場合は文章表現が優しいだけでは難しいことが分かりました。
だから、私も最初は読みやすさを求めて表現の柔らかいkindle版の本を入手して読んでいたのですが、読んでいる途中で解説なしで[ツァラトゥストラ]を理解することは難しいことが分かり、新たに解説付きの文庫本を手にして読んでいたのです。
解説を読むことで、[ツァラトゥストラ]の内容をより深く理解することが出来ました。
一旦、文庫本の第2章まで読んで気づいたBESTな読み方は
これが[ツァラトゥストラ]を最大限に楽しんで読む方法だということです。
理解が深まると広がるニーチェへの興味
解説によって理解度が上がると、今度はニーチェ自身への興味に繋がって行きました。
それまで、私がニーチェを嫌煙していた反動も手伝って、[ツァラトゥストラ]の内容が分かるとニーチェに対する興味が一気に増して行ったのです。
[ツァラトゥストラ]を途中まで読んで感じたことは、神話を思わせる物語性と、詩的な文体表現が美しく感じられ、どこか歌劇を思わせる感じ雰囲気が漂っており、本書を読んでいると音楽が流れて来るような、不思議な感覚に襲われる哲学書でした。
なぜ歌劇?何処から来た歌劇・・・
更に、[ツァラトゥストラ]の中には、ニーチェの皮肉った表現がところどころあり、それを読んでは笑っていたのです。
えっ、読みづらい哲学書なのに?
そんな興味をそそる[ツァラトゥストラ]を書いたニーチェは、その後も数々の著作を産み落とします。
しかし、『この人を見よ』を書いた翌年1月、44歳の彼は突如、トリノの広場で発狂するんです。
ニーチェの中で、何かが起こったことは確かなんです。 そういう点でもニーチェへの興味が増して行きました。
彼の本名は、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche)。1844年10月15日生まれのてんびん座です。
ドイツの前身であるプロイセン王国に生まれ、1900年8月25日に没するまで、55年間を生きた19世紀ドイツの哲学者です。
子供の頃から国語と音楽の才能に優れ、詩を書いたり、作曲することが好きだったニーチェは、牧師であった父親の影響を大きく受けて育ちます。

きっとニーチェは、パパっ子だったんでしょうね。
両親共ども聖職者の名門家系の出だったことから、家庭環境に恵まれて育ったニーチェですが、楽しい幼少期は4歳まででした。
ニーチェの父親は極度の近眼で、ニーチェが4歳の時、玄関先で足元にいた犬に気づかず躓いて、石段から転がり落ち頭を強く打ったことが原因で、翌年35歳で亡くなっています。2歳の弟も父親の後を追うように、病気で亡くしているのです。
ニーチェの才能開花
不運続きのニーチェ少年は9歳になると、ドイツの国立中等教育機関であったギムナジウムに入学します。彼はここでも国語と音楽に優れ、スポーツに励む優等生でした。
そんな彼の評判を耳にしたドイツ屈指の名門校プフォルタ学院の校長は、ニーチェを特待生として誘い、彼はプフォルタに転学することになったのです。
全寮制で個別指導だったプフォルタでニーチェは、古代ギリシャ・哲学・文学を鍛えられ、模範的な成績で卒業します。
卒業後、ボン大学に進んだ彼は、神学部・哲学部に在籍し、特に哲学部では古典文献学に強い関心を示したようです。
そこで、古典文献学者だったフリードリヒ・ヴィルヘルムと出会い、才能を見出されたニーチェはリッチュルを師事し、彼がライプツィヒ大学へ転属が決まると、ニーチェも一緒に転学して行きます。
彼が24歳のまだ学生だった頃、リッチュルはニーチェをスイスのバーゼル大学教授に推薦し、彼は古代ギリシャ古典文献学の教授として就任します。
当時のリッチュルがニーチェをどう思っていたのかは、この言葉に表れています。
長い教授生活の中で、彼ほど優秀な人材を見たことがない
ただ、ニーチェが希望したのは哲学だったんですけどね。
ニーチェに影響を与えた人物
大学時代のニーチェは、恩師リッチュルの他に、2人の人物から強い影響を受けまています。
20歳の頃、古本屋に下宿していたニーチェは、書店でドイツの哲学者、ショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」を手にし、深く魅了されて行きます。
ショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」については、こちらをご覧ください。
yushak.hatenablog.com
ショーペンハウアーの思想と言えば、厭世主義(ペシミズム)ですが、分かりやすく言うと悲観主義のことで、生きることは苦悩の連続だという考え方です。
そして、そんな人生の苦悩を忘れるために芸術に没頭して生きる・・・ということですが、これは正にミケランジェロの生涯そのものに感じられます。
ニーチェは子供の頃から音楽を愛していたこともあり、当時の音楽革命家だったワーグナーにも影響を受けています。学生時代のニーチェは、彼の熱狂的なファンだったのです。
大学時代にニーチェは、学生運動にも参加したことがあったので、ワーグナーの放つ革命的な音楽とパワフルさに魅了されていったのは間違いありません。
ビゼーのカルメンも好きだったという情報からも分かるのは、ニーチェは情熱を好んだ人物だったのでしょう。
大学教授になるちょっと前、ニーチェにとって最高の機会が訪れます。ワーグナーのコンサートのチケットを入手したのです。彼は、そのコンサートに足を運び、「トリスタンとイゾルデ」「マイスタージンガ-」を生で聴き、強い衝撃を受けます。

僕の全身の神経が痙攣し、忘我恍惚の感情がこんなに長く続いたことを長い間僕は経験したことがない
[参照:ニーチェとワーグナーとの出会い~巨匠ワーグナーの巨大な影響]
◆◇ トリスタンとイゾルデ ◇◆
www.youtube.com
◆◇ マイスタージンガ- ◇◆
そこからワーグナー夫妻との交流が始まって行くのですが、ニーチェにとってワーグナーは父親と同年齢ということもあり、父親的な影を求めて身を寄せていたのかもしれません。
年の離れたワーグナーとニーチェ2人の共通の話題は、実はショーペンハウアーだったのです。2人は共にショーペンハウアーの影響を強く受けた人物だったのです。
ニーチェは最初こそワーグナーの活動を支える為に尽力しましたが、ワーグナーの利己的な面が見え始めると、彼から離れて行きます。ワーグナ自身が建てたオペラハウス、バイロイト祝祭劇場の落成の日が2人の別れの日だったようです。
[ツァラトゥストラ]の中には、ショーペンハウアーとワーグナーから影響を受けたニーチェの息づかいが感じられます。
本書を読んでいると、ツァラトゥストラの言葉がニーチェの言葉に聞こえて来ることがあるのですが、実はツァラトゥストラはニーチェの分身そのものなのです。ニーチェはツァラトゥストラを通して、自身の考えを世に伝えているのです。
そうすると、主人公であるツァラトゥストラが、山に篭っているところから始まる本書ですが、ニーチェが引き籠った時期は?というと、大学教授時代にピリオドを打った34歳の頃です。
大学を辞める前、ニーチェが27歳の時、彼は処女作『音楽の精神からギリシャ悲劇の誕生』を出版しました。 (後のタイトルは「悲劇の誕生」として有名です)
ちょうどその頃と言えば、ワーグナーとの交流が盛んだった頃で、彼は著作の中で業界人が引くほどにワーグナーを褒め称えたそうです。(気になるので読まなきゃ)
しかし、この著作が大外れで不評に終わり、その後の彼は悪評続きで古典文献学の授業も専攻していた学生たちが彼の前から消え、ボロボロの状態に陥ります。
そんなこともあり、ニーチェは再び文献学から哲学へ移りたい!と、希望を出すのですが許可されず、子供の頃から父親譲りの極度の近眼で頭痛持ちだった彼は、精神的に参って激しい頭痛に襲われ大学を後にします。
ニーチェの悲運
大学を辞めたニーチェは、そこから執筆活動に専念するのですが、更に悲運は続きます。
ニーチェはある友人から1人の女性を紹介され、いつしか3人で旅行をする仲になったのですが、次第にニーチェは彼女に恋心を抱いて行き、彼女に求婚するのですが、彼女からの返事は素っ気なく・・・
更に、彼女を紹介した友人も彼女を慕っていたことから、男女の三角関係に陥り、ニーチェの恋は最終的に破局に終わり、友情も破れてしまったのです。
男2:女1のグループ交際では、よくあるパターンですよね。誰か1人意識し始めると、友情は成立することが難しくなるのが世の常というもの。
そのことがきっかけで、母親や妹とも不仲になり、失恋の痛手から病気が再発します。友人達とも疎遠になっていったニーチェは、自殺願望に憑りつかれ、それから逃げるようにイタリアへ向かったのです。

メチャクチャ最悪!!
そして、その逃避行中の旅行先で一気に10日間で書き上げた作品が[ツァラトゥストラ]第1部という訳です。
そんな精神状態の中で書いた作品が世界的名著!オモシロすぎる !!
ニーチェとツァラトゥストラを照らし合わせて読むと、メチャクチャ面白いということが分かりました。
奇妙な運命の一致
この作品が完成した日、もう1つ大きな出来事がありました。
ニーチェに大きな影響を与えたワーグナーの死です。
既に決別していた2人ですが、この奇妙な偶然は一体なんなのでしょうか?
[ツァラトゥストラ]の第一部は、1883年2月3日から書き始め、10日間で書き終えているのですが、ワーグナーが亡くなったの日が、実は2月13日なのです。
ニーチェはワーグナーと決別したものの、彼から与えられた影響は色濃く強く、ニーチェの中で血と共に流れているように感じます。[ツァラトゥストラ]に感じる歌劇っぽさは、ワーグナーの音楽から醸し出されているように感じるからです。
[ツァラトゥストラ]の始まり
やっとまとまったところで、本書に入ります。
本書は、こんな感じで始まります。
10年間、山に引き籠っていたツァラトゥストラというおじさんが、ある朝・・・昇って来る朝陽を見ながら太陽に語るシーンから始まります。
そして、ツァラトゥストラは、10年間で蓄えた知性が溢れ出しそうになっていることに気づいてこう言うんです。
私も太陽のように、下山して人間たちに知恵を分け与えたい!
そこから、彼の没落が始まります。
はい!第一のキーワード【没落】 ココで出ました。
この没落という言葉。一般的な使われ方は、繁栄した人や組織が落ちぶれることを指したネガティブ表現ですが、ニーチェが使うとちょっと違ったニュアンスになります。
高まった知性を持った人が、一般人(凡人)の元まで下って行き、その知性を惜しみなく広く与え尽くす
という意味です。
他にも、強者弱者でいう「弱者」の捉え方も、一般的な考え方とちょっと違うように感じました。
このニーチェ独特の言葉の捉え方・使い方が魅力的に感じます。
我を行くニーチェ(笑)
こうしてツァラトゥストラの没落が始まります。
没落については、「ニヒリズム」の説明の後で、ツァラトゥストラのおじさんに説明していただきます。
知らないのか!神は死んだということを
ツァラトゥストラの没落が始まり最初に出会うのは、森の中の1人の聖者らしき老人です。老人と語り合ったツァラトゥストラは、別れ際に老人に尋ねます。
あなたはここで何をしているのですか?
すると老人は
私は歌を歌ったり、笑ったり、泣いたり、呻いたりしながら、神様を讃えているんです
と答え、その言葉を聞いてツァラトゥストラは衝撃を受けます。
そして、老人と別れた際に思うんです。
(中略)この老いた超俗の人が森にいて、まだあのことを何も聞いていないとは・・・。神は死んだ、ということを
出ました!神は死んだ
時代背景や言葉に込められた深い意味を知れば、まるで開戦の合図のような響きがこの言葉から感じられます。
ニヒリズムの宣言
「神は死んだ」という言葉が表しているのは、実はニヒリズムの宣言なんです。
19世紀中半~後半を生きたニーチェの時代は、ロシアの社会的運動として、それまであった伝統的な権威や、政治社会上の諸制度、更に宗教などを批判、排除する傾向が強まっていました。
ニーチェも学生の頃、学生運動に参加していたこともあり、その影響は強く受けていた人物の1人です。
ニーチェのニヒリズムについては、アバタローチャンネルで詳しく解説していますので、ご覧いただければと思います。
簡単に言うと、それまでの人々が信じて来た意味や価値、真理が科学の進歩によって「無い!」ということを人間自ら立証して行った時代でもあったのです。
ニーチェが本書で使った「神は死んだ」という言葉には2つの意味があります。
- 西洋思想の中に根強くあったキリスト教の存在や意義・価値などが失われたこと
- 世界で語られて来た全ての意味や価値、真理が失われたこと
を宣言した言葉なのです。
本を読んだだけでは、ニーチェの言葉として捉えてしまいがちですが・・・。
ニヒリズム究極の行動パターン2つ
こうした世の中にある価値や意味が失われていく世界で、私たちはどう考え、どう生きようとするのでしょうか。
ニーチェはここで、ニヒリズムに陥った人の究極の行動パターンを2つ挙げています。
出ました!超人!!
あなたはどちらの人生を望みますか?
没落:一本の綱
ちょっとここで本書に戻りますと・・・
森の中で聖者らしき老人と別れたツァラトゥストラは、幾つかの森を抜けてとある町を見つけます。
その町に入って行くとそこの市場で何やら大勢が群がっているです。何だろう?と近付いて行くと、どうやらそこで綱渡り芸が行われるらしく、その予告の紙が貼り出されていました。
その群がっている人々に向かって、ツァラトゥストラは語り始めます。
私はあなたがたに超人を教える。
はぁ?
いきなり何を言い出すんですかっ!って感じですよね。貼り紙を見に来たら、いきなり知らないおじさんが大声で語り始めるシーンを想像してみてください。現代であれば、不審者扱いされ通報されること間違いなしです。
それでもお構いなしに語り続け、一息入ったところで群衆の中の1人がツァラトゥストラを馬鹿にするようにこう言います。
さぁ、これで綱渡り芸の前口上は十分に聞いた。さぁ、ここらで本人を見せてもらおうではないか。
その言葉に群衆は、ツァラトゥストラを見て爆笑し、勘違いした綱渡り人は自分への言葉だと思い演技に取り掛かるのです。
ここから更にツァラトゥストラは名台詞を口にし、「没落」について語り出します。
人間は、動物と超人の間に張り渡された一本の綱である。深淵の上にかかる綱である。
渡って彼方に進むのも危うく、途上にあるのも危うく。後ろを振り返るのも危うく、おののいて立ちすくむのも危うい。
人において偉大な点は、彼が1つの橋であって目的ではない事だ。人間において愛しうる点は、彼が過渡であり、没落であるということである。
カッコイイ!!
ニーチェは、なかなかの詩人哲学者ですよね。
この言葉の後にもまだ続くのですが、この最初の文面を読んだ時、読者の誰もがグッとハートを掴まれたことは言うまでもありません。多分・・・
私はこの文面の後半に出て来た「人において偉大なる点は」の言葉が好きです。強く共感しました。私の今現在の気持ちと、言葉を受け取るタイミングが、バッチリ合ってます。
しかし、本書の中の群衆たちは、誰もこのすっばらしい詩的な語りを聞いていないんですね。

はぁ~、幾ら良い事を言うにしても
場所が悪すぎる。選ばなきゃ!!
そして、耳を貸さない見物人を見てツァラトゥストラはこう思います。
こいつ等、笑って俺の話を全然聞いてないな!
聞く耳持ってないこいつらに、何を言っても無駄だ!
ついつい私の心の声で書いてしまいましたが、本書の言葉は丁寧に書かれています。想像しながら読むと面白くないですか!
精神の3段階:超人への階段
こうして、ツァラトゥストラの没落により、ニーチェは私たちに超人思想を説きます。超人と言ってもシンボル的確かなものはありません。
なぜなら、それぞれの中で向かって行く先にあるからです。
ただ、超人に向かう為の確かな過程として、「精神の3段階」を説いています。
それぞれの段階には、任務があります。 ラクダのイメージと言えば、砂漠で重い荷物を運ぶ姿が思い浮かぶのではないでしょうか。
正しく、そのイメージで合っています。
人生の上で、重荷を背負って耐える時期が、ラクダの段階です。尊敬する人への服従と積極的に学ぶ精神を意味しています。
第二の段階は、百獣の王と呼ばれ、威風堂々としたイメージが強い獅子です。
そのイメージ通り、自由を手にして孤独に耐え、自分自身の強い意思を表にし、主体的であろうとする闘争精神の段階。それが、獅子の段階です。
第三の段階の幼児と言えば、純真無垢であり、無邪気に物事を楽しみ、ケロッと忘れても憎めない存在ですよね。最強です!何でもあり、何でも許せちゃう。 恐ろしい存在。(笑)
イメージのままの精神と言えます。善悪正邪の区別なく、世界と生における一切はそのまま肯定され、無邪気に自由気ままに物事を楽しみ、新しい創造を生み開拓していく時期。それが、幼児の段階です。 勿論、忘れ去ることも外せません。

超人に向かう為には、忘れっぽさも必要なのね
合格!
(周りからは「老い」って言われてるけど・・・)(笑)
ニーチェの精神3段階
超人へ向かう為には「精神の3段階」が過程にあることが分かりました。
そこで、天才ニーチェの「精神3段階」を勝手に分析してみることにしました。(笑)
(´∀`)ノ 行っきま~す!
ニーチェのラクダの段階は、ズバリ! 尊敬する恩師リッチュル、多大な影響を受けたショーペンハウアーやワーグナーと出会った大学時代がラクダの段階だったのではないでしょうか。
そして、自由と孤独に耐えながら否を唱える獅子の段階は?というと、大学教授になって処女作を発表し、結果は失敗の形に終わったものの、彼自身の強い意思の表れがこの頃から見え始めているように感じます。
そこからワーグナや恩師との決別があり、大学教授を辞めて執筆活動に入った時期は正に、それまでの人々から解き放たれ、自由と孤独を手にした頃ではないでしょうか。
そして最後、幼児の段階は、ワーグナーの死と共に、ニーチェの中に受け継がれた師の影たちが開花し、新たな創造として[ツァラトゥストラ]が生み出された時期のように感じます。
そして、彼は超人へと向かいながら数々の著作を創造して行ったんでしょうね。 勝手な想像ですが・・・。
私の中の精神3段階?
実は面白いことに、凡人の私の中にも「精神の3段階」と同じ感覚はありました。ニーチェを知る前の話ですけど・・・。段階は同じでも、天才と凡人の違いは、レベルの大きさです。(笑)
だから、「三様の変化」を読んだ時は正直、血が騒ぎました。

あれ?ニーチェと感覚が同じだ!
全て思い込みですけど、言っちゃいます!
私の中のラクダの段階は、何でもやろう!とにかくやってみよう!と、オンラインサロンに入ってガチャガチャやったり、色々始めてた頃でしょうか。
そして、自由と強い意思を求めた獅子の段階は・・・
ズバリ!これを手に入れた時です。

今の私に必要なのはこれだ!
と、なぜか思ったあの瞬間。 そして、知り合いから購入していました。
ちょうどその頃は、私にとって第2の人生が始まったばかりの頃です。
今も常に、私の前には獅子がいます。
そして、毎日見つめ合っているという・・・
( *´艸`)♥
最後の「幼児」の段階は、ちょっぴり片足突っ込んで足湯状態でしょうか? そのまま浸からず、のぼせて出てしまわないよう注意が必要です。
とにかく、無邪気に楽しむことを忘れないように日々を過ごそうと思っています。忘れっぽいのは良いことだけど・・・。
超人に向かうための「精神の3段階」まで来たところで、[ツァラトゥストラ]のメインテーマである「永劫回帰」で締めたいところです。
この四字から想像することは、ループ状態、永遠に繰り返されるイメージではないでしょうか。
本書の中で「永劫回帰」の思想が出てくるのが、実は後半だということで、ココはザックリ動画を観て私の感想を書いて行きます。
今の私が分かっている段階で「永劫回帰」を説明すると この世で起こる全ての事象が繰り返される、という意味で捉えています。
だけどこの言葉を最初に聞いた時

はっ⁉そんな世界嫌だ!
と思ったのは事実。
だけど、歴史を見ていると時代が変わっても似たようなことが繰り返されているように感じるので、そういう意味では納得できるような気がします。個人レベルだと納得できないけど、時代で考えると頷けます。
(゚д゚)(。_。)ウンウン
ただ、ここで嫌だ!という感情が働いた理由は何かというと、人生のネガティブなことを連想したからに他ならないのです。
一回きりの人生だからこそ、否定せずどんなことがあっても前に進んで行こう!と考えていた部分があったので

えっ⁉繰り返されるの?
それは勘弁してよ~
・・・が正直なところです。
多分、私だけに限らず、誰もが同じように考えるのではないでしょうか。嫌なこと、失敗、過ちといった、ネガティブな出来事は2度と繰り返したくないと・・・。
だけど、永遠に同じことを繰り返す世界があると仮定すれば、否定的に生きるより、やはり肯定的に超人を目指して生きる方が望ましいように感じます。
自分の人生を主体的に生きるって、現代の社会でそれが出来る人は少ないと思うんです。常に周りの意識の中に身を置いているから。
だから、主体的に生きる為には、社会との距離を逆にある程度とる必要があると思っている今この瞬間です。
(持病再発とコロナによって、距離は取ってるんですけどね)
[ツァラトゥストラ]人類への最大の贈り物
ニーチェの[ツァラトゥストラ]は、普通に読むだけだと非常に読みづらいのですが、その読みづらさの原因が何かというと、想像力が必要だからだと感じています。
時間に追われ、心の余裕がない人にとって、考えたり、想像しながら読むことは大変なストレスかもしれません。
そんな時間はない!と一喝されそうなくらいに・・・
サラっと読めない[ツァラトゥストラ]は、実はサラっと読んではダメな本だと思うんです。
凡人たちよ!何度も何度も読み返すがいい。私の考えに到達して見ろ!
ちょっとニーチェになり切って言ってみました。(笑)
ニーチェが[ツァラトゥストラ]を「人類への最大の贈り物をした」と言ったのは、言い換えるとニーチェは人類への「挑戦状」を贈った!だと私は思っています。(笑)
ニーチェの皮肉った感じから、そう感じるのです。
( *´艸`)
アバタロー動画[ツァラトゥストラ]の紹介
随分とお待たせしました。
アバタローさんの解説は[ツァラトゥストラ]だけでなく、色々な世界的名著を分かりやすく解説してくれているので、おすすめの動画です。
私が世界的名著を手にして読んでいること自体、摩訶不思議でなりません。それもこれもアバタローさんの動画のお蔭です。
ありがとう~♥ アバタローさん
ということで、アバタローチャンネルの「ツァラトゥストラ」の流れは、こちらです。
ツァラトゥストラのメインテーマである、「永遠回帰」や「運命愛」も分かりやすく解説してくれていますので、是非、ご観ください。
[ツァラトゥストラ]字幕付き動画の紹介
聴覚に障害を持たれている方や、日本語字幕付きで解説動画を閲覧されたい方には、海外の字幕専用サイト『Amara』を利用してアバタローチャンネルに字幕を付けています。是非、こちらをご覧ください。
閲覧の際は、ログイン不要です。
ただ、スマホやiPhoneで閲覧してみたところ字幕が表示されませんでした。PCからご利用ください。
[ツァラトゥストラ]まとめ
ニーチェと行く[ツァラトゥストラ]の旅というテーマで、長々と書いてしまいましたが、楽しんでいただけましたでしょうか?
これから私は後半を読んで行くのですが、現時点での考え方が後半を読み終えた時にどう変化しているのか、今から楽しみです。新たな発見があるのか、ないのか。
天才ニーチェは、大局を見る眼を持っていたものの、自身の恋愛だけは盲目に終わってしまったという点で、どんなに天才であってもやはり人間は、不完全な生き物だということが分かりました。
そして、ニーチェ自身の人生も山あり、谷ありだったことがお分かりいただけたのではないでしょうか。
今回は色々と調べながら読んだので、見方がどんどん広がって本当に面白かったです。
[ツァラトゥストラ]是非手に取って読んでみてください。その際は、解説付きで読まれることをお勧めします。
長文になりましたが最後までお付きあい、ありがとうございました。
次回の予告は・・・
その後の[ツァラトゥストラ]後編
をお届けしようと思います。
【YouTube動画】
【AmaraURL】
amara.org
【本】