今回は、ヨハン・ホイジンガ著[ホモ・ルーデンス]をご紹介します。
「ホモ・ルーデンス/Homo ludens」は、ヨハン・ホイジンガが提唱した「遊ぶ人」という意味のラテン語で、「人間とは何か」という究極の謎解きから、人間の本質を明らかにようとした考え方のひとつです。
”ひとつ” と言うからには、他にも3つあります。
本書は、ホイジンガの研究分野でもある、歴史学・民俗学・言語学の観点から「遊びと文化」を追求していく、ちょっぴりお堅めの学術書です。
私たちはいつの頃からか自然に遊ぶ楽しさを覚え、「遊び」に対して疑問を持ったり、投げかけることはなかったのではないでしょうか。
そして、「遊びと文化」について考える時、一般的には ”文化の中に遊びがある” ように考えられがちですが、本書の冒頭でホイジンガは遊びは文化より古いという言葉からスタートしています。
それはどういう意味なのか、私たちの「遊び」がどう「文化」に関係しているのか。ホイジンガが人生を賭けた集大成として、その謎解きにチャレンジしているのが[ホモ・ルーデンス]です。
子供の遊びや子犬のじゃれ合い、原始古代の聖なる祭祀~現代文化の中に見る「遊び」の要素に至るまでを考察し
真の文化には、ある程度遊びの要素が必要だ
という結論に至ります。
しかし、現代の文化に至っては、産業革命による技術進歩の発展以降、生活・文化の中に「労働」と「生産」が占めるようになり、「遊び」の要素が失われてきていることを危惧していました。
遊びと文化の関係を通して、人間とは何か考えさせられる[ホモ・ルーデンス]を、丁寧に分かりやすくその魅力を解説してくれるのは、YouTube アバタローチャンネルです。
そこで、アバタローチャンネルの解説動画をご紹介すると共に、私の個人的な活動として、字幕付けした解説動画のURLを共有させていただきます。
更に、初めての学術書を読んで苦労した点や面白かった点などを共有したいと思います。
このブログをおすすめする人は・・・
まずは、本の解説動画「アバタローチャンネル」の紹介記事からご覧ください。👇
www.dokiwaku-everyday.com
[ホモ・ルーデンス]解説動画の紹介
[ホモ・ルーデンス]を読んでしみじみ感じたことは、書評YouTuber アバタローさんの読解力と、まとめ力の素晴らしさです。
なぜなら・・・本を読み始めて直ぐに、「挫折」の文字が頭をよぎっていたからです。今回はアバタローチャンネルの紹介だけで良くない?といった心境になること数回。(笑)
[ホモ・ルーデンス]は、学術書ということもあり、文章の表現がちょっと・・・私には堅すぎて、最初は読んでいてもスッと頭の中に言葉が入って来ませんでした。

か・・・噛み切れない肉を食べているようだぁ~
そんなちょっぴりハード感のある[ホモ・ルーデンス]を、アバタローチャンネルでは21分程度にまとめて解説してくれています。
ちょっとした移動時間・待ち合わせの時間・夜のホッとした時間を利用して、動画を閲覧されてみてはいかがでしょうか。
個人的に、アバタローさんの本のチョイスは好きです。自力で本を選ばなくていい点で、めちゃめちゃ楽です。
ありがとう~ アバタローさん!
そんな有益本を紹介をしてくれる動画は、コチラです👇👇
www.youtube.com
[ホモ・ルーデンス]字幕付動画紹介
聴覚に障害を持たれている方や、字幕付き動画を閲覧されたい方には、海外の字幕専用サイト『Amara』の字幕付け動画のURLを紹介します。
YouTubeの字幕エディタが復活するまでは、『Amara』のサイトを利用して字幕を付けていますので、ご利用ください。
また、閲覧される際のログインは不要です。
ただ、大変申し訳ないのですが、スマホやiPhoneで閲覧してみたところ、字幕が表示されませんでした。
PCからご利用ください。
amara.org
字幕を付ける理由
字幕を付ける理由は幾つかあるのですが、一番の理由は聴覚障害の方にも有益情報を届けたい!という気持ちからです。
そう考えた場合、ただ動画をボーっと観てるだけだとつまらないので、手を動かし、字幕を付けつつ、動画の内容を自分の中にインプットしながら、私自身の考える時間になっています。
この数年で、私の中で明らかになったことは、世界は多様にできているということです。
多様な世界なら、その多様性を受け入れられる環境に少しでも近づけるよう、誰かの活動を待たずに私に出来ることから始めよう・・・ということで字幕付け活動を始めました。
[ホモ・ルーデンス]の魅力とは?
今回も本の内容が更に気になって、kindle版を手にしてみました。 kindle版であれば、PC用とiPhone用のアプリを使えば、気になった時に即読める点で重宝しています。
ホイジンガは、人間の本質の1つとして[ホモ・ルーデンス/Homo ludens(遊ぶ人)]を提唱しました。
では、ここで質問です!
あなたが考える人間の本質はどれでしょう?
ちょっと、ボタンを付けてみたのですが、期待通り押していただけましたでしょうか?
ボタンを押しても何も起こらない余興はさておき、普段...学術書など読まない私にとって、表現がお堅い本書はハードルが高かったようで、数ページ読んだ段階で・・・

ナンじゃ!こりゃあ~!!
・・・とちょっと挫折傾向でした。(笑)
本書を読み始めて直ぐに挫折感を味わった私は、どうやって読み進めていこうか、仕切り直しを考えます。
挫折はストーリーで復活!
何をしたかというと、特別なことはしていません。
ホイジンガがどういう人なのか、もう一度自分で納得がいくように調べてみました。
どういう経緯を辿って本書が書かれたのか を知ることで、本を読む【導入部分】にストーリーが展開され、スッと読みやすくなるんです。
以前、紹介した「ミケランジェロの生涯」を読む際も、本文を読み始める前にじっくりミケランジェロの作品を見てから中身に入っていた私。
凡人にはストーリーが大切!
なんですねぇ~。
著者:ヨハン・ホイジンガ
『ヨハン・ホイジンガ/Johan Huizinga』は1872年。オランダ東部のフローニンゲンにうまれた、歴史学者・文化史家です。
彼は大学を卒業後、ハーレム高等学校で歴史を教える傍ら、古代インドの研究を行いました。
その6年後(1903年)、アムステルダム大学の私講師になったホイジンガは、ヴェーダ文学・バラモン教文学について授業を行っていく中で、遊びと文化の関係に興味が芽生え始めます。
訪れた転機
1904年、ホイジンガの中で転換期が訪れ、それまでの研究対象だった、東洋の伝統から西欧中世へ対象が変わります。
転換の理由は?
勿論、「遊びと文化の関係」を追求するためです。
この研究分野の転換は、彼にとってビッグチャンスを掴むきっかけとなり、翌年1905年にはフローニンゲン大学の歴史学教授となります。
それから10年の月日が流れ・・・1915年。
今度は、ライデン大学の教授へステップアップしたホイジンガは、その4年後ヨーロッパの美術文化史の名著と言われている『中世の秋』を世に発表します。
そして1932年、遂にライデン大学の学長へ就任した彼は、6年後66歳の時に、[ホモ・ルーデンス]を世に生み落としたのです。
[ホモ・ルーデンス]目次を読む
[ホモ・ルーデンス]が遂に生み落とされたことで、本を再び開いた私。次に本書の目次に目を向けてみました。
青いマーカー部分でカテゴリ分けをすると、4つに分類することができます。
- 章 文化現象としての遊びの性格と意味
- 章 言語における遊びの概念の構想とその表現
- 章 文化を創造する機能としての遊びと競い合い
- 章 遊びと裁判
- 章 遊びと戦争
- 章 遊びと知識
- 章 遊びと詩
- 章 形象化の機能(神話形式の諸要素)
- 章 哲学の持つ遊びの形式
- 章 芸術の持つ遊びの形式
- 章 「遊びの相の下に」立つ文明と時代
- 章 現代文化の持つ遊びの要素
パッと見で内容を見て行くと 【1】1章~3章では、ザックリ「遊びとは何か」遊びの本質を明らかにしている箇所のような気がしますよね。
そして、【2】4章~7章では、一見「遊び」とは無関係にも見える文化要素?「裁判」「戦争」「知識」「試作」との関係を見ていることが分かります。
【3】8章~10章では、何だろう?・・・ということで、パラパラ捲ってチラ読みしてみると、「精神的な遊び」を中心とした神話の創造世界。想念の世界を覗いて「哲学」や「芸術」の「遊び」の形式を見て行ます。
そして【4】11章~12章では、それまで見て来た「文明」や「時代」背景の中での「遊び」を振り返りながら、19世紀以降の文化と「遊び」を考察している・・・と言った感じでしょうか。
実際には、「遊びは文化より古い」という本書のテーマを立証するための考察が順序良く書かれています。 いよいよ、気持ちが[ホモ・ルーデンス]に向かったところで、本文を読んでみました。
挫折克服で広がる世界
ホイジンガの歩みを理解した上で、もう一度本書を開いて読み進めていくと、最初は見えなかった本書の魅力に気づくことが出来ます。
やはり、最初に本を開いたときは、文章の堅さにテンパって、心の余裕がなかったんでしょうねぇ。心に余白が生まれたことで、見えなかったものが見えるようになりました。
その魅力とは、ズバリ!
ホイジンガが人生を賭けて研究した、歴史学・民俗学・言語学という3方向から「遊び」を考察している点です。
文章の表現はちょっと堅くて分かりにくいのですが、ホイジンガが「遊び」についてどういう風に考え、どういう方向で見ていき、どういう結論に繋げて行くのか。その流れが見えると本書の面白さがグッと上がります。
凡人の私からすると普段、歴史に触れる機会はあっても、民族学や言語学の世界を覗くことはありません。そう考えると、全く知らない未知の世界に触れることで、私の中の世界観にちょっぴり広がりをもたらしてくれました。
言語に関しては、時間を取って何度も読んではググりを繰り返していました。
「遊び」はどこから来るのだろう?

遊びは文化より古い、という言葉から始まる本書。
私も考えてみました。
遊びはどこから来るのかを・・・
そこで、生まれたばかりの赤ん坊の成長過程を考えて、ふと思います。
生まれたばかりの乳児が最初にする遊びって?
遠い記憶(息子の成長記録)を呼び起こしながら考えていると、「一人遊び」から始まり「模倣遊び」を通して成長したように思うのです。
・・・ということは、誰に教わるわけでもなく乳児のDNAの中には、既に「遊び」の種が秘められた状態で、この世に生まれてきていることが分かります。
そして、ここから私の妄想timeに突入しますが
体内の機能がこの世界に順応し始めた時、DNAに秘められた「遊び」の種から芽が出るのではないでしょうか。脳の伝達機能が発達し始めた証として、「遊び」の種が開花するイメージです。
体内機能の五感(味覚・聴覚・視覚・触覚・嗅覚)が研ぎ澄まされていくことで、脳への刺激が強まり伝達機能が高まると、自然と「遊び」の種が開花するのだと思った私です。
ホイジンガも本書の冒頭部分で「遊び」の考察の重要な問題点として
遊びはすでにその最も単純な形においてすら、また動物の生活においてすら、純生理的現象以上のもの。若しくは純生物的に規定された心理的反射作用を超えた何ものかである。
・・・という、ちょっと凡人の私には謎のメッセージのような表現なのですが、純生理的=生まれながらに持つ本能より深い特質ということや、心理的反射作用=訓練などで備わるものではない、などから言い換えると、遊びの機能は、「DNAに組み込まれている」と自己解釈で解決させました。
言語学の世界の魅力
言語学の専門家であるホイジンガは、遊びの要素のひとつである「面白さ」に注目し、まず彼の母国語であるオランダ語の「aardigheid/アールディヒヘイト」(面白さ・素晴らしさ)を引用して考察を始めます。
「arrdigheid」は「arrd/アールト」(本性)から転じた言葉で、これ以上遡り得ないことを意味するようで、ホイジンガは遊びの「面白さ」は、どんな分析も論理的解釈も受け付けないと言っていました。
その上で、英語の「fun/ファン」(面白さ・楽しさ・戯れ・ふざけ)に当たるオランダ語・ドイツ語には
【オランダ語】
- 「arrdigheid」(面白さ・素晴らしさ)
- 「grap/グラプ」(冗談・おかしみ)
【ドイツ語】
- 「Spass/シュパース」(冗談・面白さ)
- 「Witz/ディス」(とんち・滑稽)
と言う2つの言葉を使います。オランダ語とドイツ語では、系統の違う2つの言葉として扱っているものの、英語のfunでは1つの言葉として表していることから、ホイジンガはこの2つの言葉に対して思うのです。
ある程度照応し合うな
と。
そして、フランス語にはこうした概念に当たる言葉がないようで、言語学者であるホイジンガが驚くのですが、凡人である私はそれ以上に驚きました!

ないの?
このことから、言語の中の「遊び」の概念を統一的に見る必要があるということで、ホイジンガは「西欧人」に馴染みのある「spel(遊び)」という言葉を引用して、幾つかの代表とする言語の中の「遊び」を考察していきます。
本書の第2章に当たる部分ですが、代表ということもあり言語による違いが、カラフルに描かれている箇所です。
言語の世界をちょっと覗いただけで言えることは
世界は多様にできている!
また、言語のルーツや関係性を辿る面白さは、まるで失われた財宝を見つけるかのような・・・
私の頭の中では何故か、映画「インディー・ジョーンズ」がチラチラ現れ、ハリソン・フォードに扮したホイジンガを楽しんでいました。(笑)
これが言語学の魅力なんだ!
民族や国のそれまでの歴史の違いによって、使われる言葉の意味やニュアンスが異なっていることが面白いのです。
共通するものもあれば、独自性のあるものもあったり、言葉の持つ意味の幅も違っていたり、反対にそういう言葉すらなかったり・・・
そうなると、国によって感性が違うことに気づき
同じ人類だから心を一つに・・・
と思うことの難しさ、言葉の壁の正体も分かりました。
色々な言語の中で「遊び」に関係する言葉を見ると、思っていた以上に「遊び」に含まれる概念の多さが分かます。
- 感情によって異なる言葉がある
(ポジティブ・ネガティブ) - 「闘技」「競技」「賭け事」「見せかけ」などの意味を持つ
- 「子供の遊び」と「一般的な遊び」が分かれている
- 「聖なる行事の領域」「司法行為」「公開競技」「学校」「楽器の演奏」「踊り・肢体運動」などを意味する言葉がある
こうした言語学から「遊び」の概念を明らかにし、文化と遊びの考察が始まって行きます。
これが、今の私にとって最大の[ホモ・ルーデンス]の魅力です。
[ホモ・ルーデンス]まとめ

アバタローチャンネルの解説動画・字幕付き動画・本の感想を含めた紹介と共に、魅力をお伝えしましたが、興味を持っていただけましたでしょうか。
学術書というお堅い真面目な本が苦手な私ですが、読んでみると深い味わいを感じました。(そりゃそうだ!学術書なんだから・・・)
一度だけ呼んでも理解度が浅いので、繰り返し繰り返し読んでみると、不思議なことに理解度がアップしていることに気づきます。本の内容を吸収できていることを実感できるのです。
ホイジンガの専門分野である歴史・民俗・言語といった広い視点で書かれた[ホモ・ルーデンス]は、様々なジャンルのネタの宝庫という点でも魅力的な書籍です。
今回は、言語学をメインに魅力を伝えましたが、他にも神話や偉人の言葉など多くの魅力が詰まっています。
まだまだ、私自身読みが浅いと感じているので、時間をかけてゆっくりホイジンガの言葉を自分の中に落とし込んで行こうと思います。
本書の最後に現代の文化の中には、それまであった遊びの要素が失われていることをホイジンガは危惧していました。
真の遊びはあらゆる宣伝を締め出し、それは遊び自身の中に目的を持っている。
しかし、あらゆる生活分野を一手に支配しようとしている現代のプロパガンダ(宣伝)は、ヒステリックな大衆的反応を巻き起こそうとし、そのために人を騙す手段として活動している。
その場合、遊びの形式を借りているとしても、それは遊びの精神の近代的表現とみなされるべきではなく、ただそれにあやかった偽物であると考えられるべきだ。
このホイジンガの言葉をあなたはどう捉えるのでしょうか?
[ホモ・ルーデンス]に興味を持たれた方は、是非手に取ってみてください。
次回は、ヴィクトール・E・フランクルの[夜と霧]をご紹介いたします。
長文になりましたが、最後までご覧いただきありがとうございました。
【YouTube動画】
www.youtube.com
【AmaraURL】
amara.org
【本】